Vol.74 「分母なき社会からの脱出」 大橋 正明



「分母なき社会からの脱出」

大橋 正明(本検定ニュースレター前編集長)


分母なき社会を生きている。

分母なき社会とは「これは一体どういうことなのだろう?」という基本的な問いを持たない世界である。

社会ではそういうことになっているから与えられた課題に答えるのが当然だろうと公言してはばからない鵜呑み社会が登場して久しい。すなわち「本」を忘れ「流れ」に身をまかすことに何の疑問も持たない思考の誕生である。1980年初頭からその兆しは顔を出し、990年代に群衆の誕生によりいよいよその正体を現す。そして2000年代には制度や組織の傘に寄生しながら力への帰属に人が流れる。それは保守であれ革新であれ本性では同じ根を持っている。

こういう思考方法に顕著に現れるのが「関係性」の重視より「自分の成果」重視という発想である。あらためて言うことでもないがエコロジーの法則のひとつは「オブジェクトではなく関係性を重視していること」である。すべての生命は関係しあってクリエイティブな世界を繰り広げている。

さて、世の中に「信頼」というファクターがあるとするなら、それは“他者”への配慮にほかならない。(決して精神論を言っているのではなく戦略論をメッセージしているつもりである。)この時の他者とは人間同士の直接的な関係にとどまらず、私たちの存在理由に因果するあらゆる対象としての「生活空間と様式、道具、仕事、産業、景観、生物、都市、自然そしてこれらを包括する過去という時間」である。これらとの関係性あるいは結びつきが私たちの国土に於いて如何に豊かな歴史を育んで来たか。あるいはこれからも豊かであるかということを伝え表現することを通して人間復興の新しい世紀に創りかえる時代が来ている。

子どもたちに大人が見せなければならないのは私たちを取り巻くこのような多様で持続可能な果実に結ばれて「私たちは今、ここにいる。」という伝説である。それをあらゆるクリエイティブな手段を通して伝えることが待た
れている。

そこからは新しい価値や生き甲斐のある仕事、潤いのある産業が眺望できる筈であるし、現に若き挑戦者が具体的に育っている。近代社会の長きにわたる停滞から脱するためには私たちの暮らしや社会を支配しているある種の古典的な、しかし営々と繰り返されてきた習慣的価値に目覚めなければならない。それは社会を社会たらしめている「まなざし」という無言の、しかししっかりとした、他者への柔らかな関係性を創造し得る可能性を秘めたメディアへの気づきである。

アイデアは過去からしか生まれない。しかしそれは古いものへのなつかしみでは無い。そう教えるからおかしくなる。過去の他者が知り得た膨大なビッグデータへの着目である。そこに降り積もる知層への関心と応用あるいは
転用である。私たちが持ちうる有力な道具はそこに目を向けるまなざしである。まなざしの機能回復である。

まなざしとは観察力のことである。見通す力である。見通す力とはリテラシー、読み解く力のことでもある。これが出来ないから「KY-空気読めない」となる。読み解く力が養われるとセンサーが働く。これは特にこどもたちにとって大切なことである。センサーが常時機能していると今何をすることが大切で何が旬かあるいは何が危険かを即座に判断できる。

こうしていると自然に全体を見渡す才能とセンスが身に付く。これらの先に最も重要な素養が甦る。それが人間性であり、野生の感覚である。(サバイバルで無人島で自給自足を体験しようなどという発想ではありません。)
日本人は古来からどのように生きのびてきたかという「生きのびるデザイン
」への関心が大きな興味の対象となり、何ものにも阻害されない抑圧しない純粋な発想を生むチャンスを今こそ若き人々に開放しなければならない。
これらを阻んでいるのが、「○○とは何か」という大きな問いとしての分母思考を避ける風潮が社会に存在することである。そして環境メッセージ活動においてもこの「大きな問い」の欠落がすべてを混乱させている要因であると私は考えている。

簡単に言うとクリエイティブでないということである。ちょっと脱線する。まなざし思考はシンプル思考やシステム思考と直結する。そうすると「あっ、これでいいんだ!」という解決に出会う。それを考えていただく意味で、最近こんな語りかけを各界の専門家の集まりでしたことがある。こんなクイズ的な問いかけをしてみた。
Q1.梯子は誰が作ったか?
Q2.空港の基本的役割は何か?
Q3.都市におけるみんなの最も大切なニーズは何か?(安全安心なんて言わないでください。)
Q4.こどもたちへの環境教育で最も果たさなければならないファーストステップは何か?
(アイスブレークなんて言わないでくださいね。)
Q5.物質文明とは何かを説明してください。(物が大量生産されて消費
されて大量廃棄が生まれたは無しで答え
てください。)根源的なことを答えてください。
Q6.過激な競争社会に対する新しいコンセプトワードをたてください。
Q7.それを具体的に説明してください。
Q8.エコロジーとはなんですか?
Q9.経済とは何ですか?
Q10.企業のCSRにおけるクリーンアップキャンペーンに現場でのスタッフジャンパーに大きく企業名を入
れることは必要と考えますか?
Q11.もったいないとはどういうことですか?
Q12.今の社会をひとことで言うとどんな社会ですか?○○○○社会を埋めてください。
実に簡単な問いかけである。話しを分母なき社会に戻そう。分母すなわち何故を考えない風潮が進むとあるいは陥ると以下のような事が起こる。
まずリニア思考、問題を直線でしか考えられない。江戸時代は賢かったというと、昔に戻れと言うのか!的発想は後を絶たない。

環境活動でもそうだがコンセプトやキャッチフレーズが受けを狙った気のきいたことばを探すことに視点が置かれたり、多くの動員があれば、みんな環境の事を考えているんだね!的発想になる。二元型思考が始まる。人を分かっている人と分かってない人に「分別」する。たくさんのその場限りのにわかコンセプトが「廃棄」される。だから「意識を持って行動しよう!」的思考が当たり前になる。それは違うんじゃないかな?的企画会議が生まれない。こうなるとますますコミュニティは狭まる。どうしても最後に「みんなで環境のこと考えよう」的落とし込みが見えてしまう。

ある国立大学の学生が言っていた。「どうしてもそこへ持っていきたいんでしょ?」これは中々愉快であり、いい指摘だと思うのである。分母がないとは構想を考える能力が欠如しているということである。そうするとアイデアの範囲がイベントに流れる。構想とはコンセプトが生まれると同時に普遍的に社会に定着させたいものが定常的に流れていて、参加者が自ら考える楽しさを味わう仕掛けが含まれているもののことである。

随分嫌味なことを言っているようで読者の方々も随分食傷気味だと思う。
実は筆者である私は本文を最後にニュースレター編集長の任を解かれ(自らである。)環境を見つめ直し本業のマーケティングデザインとソーシャルグッドという立場から新しい活動に挑戦してみたいと思っている。とはいえ、ここに書かれたことは決して「捨て台詞」ではないと私自身は確信している。
ご理解いただければ幸いである。そこでラストメッセージ。

1.大きな問いの答えは必ず小さな答え。それを見つけた時、人々は歓びを感じる。
2.以下のものを取り戻す。いろんなものに目を向ける「まなざし」
声なき声を聞く「耳」困っている人に差し伸べる「手」ある分野に終始せず他の事柄にも挑戦する「腕」とにかくそこへ行ってみる「足」。
3.欲望社会からの脱出は希望ではなく「展望社会」。
4.共感とは、経験に裏打ちされた分母の上に据えられた分子「X」のこと。
5.競争社会の反対は「競い合う社会」
6.物質文明が環境問題を引き起こす要因の1つと言うなら物質の「質」とは何か?
7.右肩上がりも右肩下がりも無い。すべては時間の中で降り積もり、知層社会を形成する。
8.こどもたちには、「?」+「!」=「?」が大切。そして一番身近なそして美しいものを見せる。
10.世の中に今、必要なものは「生きている!」「生きていく!」「生きながらえていく!」という実感。そし
て方法とアプローチ。たった3つを創る。
11.あらゆる自然の営みとあらゆる私たちの営みが重なり合った芸術の創造。(宮沢賢治)



大橋 正明


【プロフィール】
大橋 正明(おおはしまさあき)
みんなのヴィジョン創造研究所/フォーラム創造幼稚園主宰

大手広告代理店で数々のプロジェクトを手掛けるプロデューサー業務を行うと共に、社会に歓びが生まれなければそれはすべてマーケティングの失敗を念頭に都市空間や社会の中であらゆる世代が快適に住まうための小さな提案を続ける。

現在はみんなのヴィジョン創造研究所として茫漠としたヴィジョンやミッションといった分野に骨格と具体的アイデアを持ち込む仕事に取り組んでいる。近々、希望のシグナル~創造幼稚園プロジェクトを本格化させる。現在は、FBにて一端を公開中。若い人たちに、企画とは何か?マーケティングとは何か?発想はどこからやってくるか?などの基礎力をつける講座を計画中。

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