「ある農家さんのお話し」

「ある農家さんのお話し」
山口 茂子

みなさま、こんにちは。
東京在住の山口茂子です。

今回は、都心でのサラリーマン生活に終止符を打ち、生まれ育った埼玉県で、無農薬無施肥による農業をはじめたあるご夫婦(Kさんと呼びます)のことをお伝えしたいと思います。

7月の猛暑が続くなか、わたしは、Kさんが生活する市営団地の1室を訪問しました。私とKさんは、生産者と消費者という間柄です。Kさんの畑で育つ野菜を定期的に購入し始めたのは、昨年の秋のことでした。ちょうど夏野菜が秋野菜に入れ替わろうとしていた時期だったと記憶しています。

野菜を送っていただくのに、毎回丁寧な直筆のメッセージを入れてくださったり、メール交換をしたりするうちに、何となくともだちのような親しさを感じていた私は、ふと思い立って「遊びに行きたい」というメールを送りました。それに対して快く部屋を準備して待っているねとすぐさまお返事をいただきKさん訪問の企画が実現しました。

Kさんご夫婦が生活しているのは、畑から自転車で数分のこぢんまりとした市営団地です。そこに夫婦と2人の男の子がにぎやかに生活をしています。上の子は、お母さんが保育園の考え方が自分たちに合わないと考え、畑で一緒に過ごしています。下の子は、まだお母さんのおっぱいが恋しい年頃です。

家族がいつも一緒にいられるのがうれしい、とK奥さん。それでも、農業についての意見の衝突はたくさん合ったそうです。今はそれとなく役割分担していくことで、摩擦はだいぶ解消されたとのこと。

訪問した7月は、とにかく暑さが厳しいときでした。何もしていなくても、汗がとまりません。もちろん冷房なしです。家中、すべての窓を豪快に開け放って過ごします。

扇風機も一生懸命回っていますが、しばしばやんちゃ盛りのこどもたちの遊び道具になってしまうので、十二分にその機能を発揮しているとは言い難い状況です。
網戸も完備されていないので、夜は蚊帳をつって休みます。就寝時間は通常8~9
時ころです。いつもは会社の机に張り付いている時間です。早すぎて、眠れないのでは?という心配は不要です。昼間、太陽の光をたくさん浴びながら、子どもと遊んだり作業をしたりしていると、疲れですぐに眠たくなります。

ちなみにお風呂もありません。Kさんの家では、風呂はなし、たらいで水浴びです。入りたいときは、車で数分の距離の温泉に行きます。

団地の間取りは、もともとはキッチンや寝室など、ふすまで区切られていたものをすべて取れるものは取り払って、「ぐるぐる回れる」家になっています。お父さんの希望だそうです。こどもたちが文字どおり、ぐるぐる家中を走り回っています。かなりの物音がしているように見えますが、下の階の住人は、何一つ文句を言うことはないそうです。子ども好きな方が住んでいらっしゃるとのこと。

こどもたちは、絵本や図鑑や簡単なおもちゃで遊んでいましたが、コンピューターゲームのようなものはありません。畑に行けば、あたり一面が遊び場です。

かくれんぼしよう!と言われてお兄ちゃんと遊びました。金属パイプとシートでできた作業ハウスのなかの小さな隙間に入ってみたり、伸びた作物の陰に寝っ転がってみたり。そうかと思えばハウスの金属パイプにお猿のようによじ登ってみたり。わたしが見つけられないとくすくすと嬉しそうに笑います。お母さんは、保育園に1年通わせて、考え方の違いを感じたのと、ここでは子供の良さが生かされないと感じてやめさせて、畑で育てることにしたと言っていました。

作物を少しまかされて自分で管理をして育てているそうです。草刈ガマや収穫用のはさみも使います。下のこどもがカマを持っていたので、危ないよと言って取り上げようとしたら、お兄ちゃんは使っていいんだよ、切ったりするかもしれないけど、そうしないと危ないことがわからないんだと、私を制しました。小学校前のこどもです。
お兄ちゃんがかくれんぼや、泥団子づくりに興じるなか、下のこどもは、自分で水の入ったコンテナに入って涼んでいます。

お母さんに入れてもらったわけではなく、自ら入って機嫌よく遊んでいます。大きな容器にお茶とお水はたっぷりと用意され、のどが渇くと自由に飲みます。ペットボトルはどこにもありません。3度の食事は、畑作業を上がるときに、B品の野菜を持ち帰り、手早く料理を作ります。食卓に料理が並ぶとお母さんは、みんなを集めて、一緒に「いただきます」を言います。

まだお乳を恋しがる小さい下のこどもも自分で食べます。机の周りにはこぼした食べかすが散らばりますが、お母さんはいちいち細かく構ったりしません。手で食べても、こぼしても怒りません。小さいこどものいる家庭でよく耳にする「危ない」、「汚い」、「静かにしなさい」という言葉もほとんど耳にすることはありませんでした。
でも、これは本当によくないというときは、びしっと叱ります。

高い椅子に上って遊ぶうち、バランスをくずしてお兄ちゃんは落ちましたが、からだをひねってきちんと着地していました。
帰る前の夜、お兄ちゃんが、言いました。

「ぼくは、しげちゃんが来てくれてとてもうれしかった。ぼくをたくさん褒めてくれてうれしかった。帰らなくちゃいけないかもしれないけど、また来てね。」
お兄ちゃんが面倒をみて育てているニンジンが食べごろになったときに、再び訪問する約束をしました。

帰る日の朝、東京で打ち合わせがあった私は、早めの特急に乗りました。普段は軟弱な都会人です。正直に言うと冷房がとても心地よく感じられました。この2日半は、今、とても不思議な感覚で心のなかに残っています。
その感覚は言葉にするのは困難です。私が見てきた体験してきた本当に一部ですが、ここに書き記すだけにとどめさせていただきます。良いことでも悪いことでも、どんなことでも何か感じていただけたらと思います。

最後までお読みくださってありがとうございます。

ページの先頭へかえる