釧路のタンチョウを見て考えたこと


『釧路のタンチョウを見て考えたこと


安井 久喜     
活動する地域 愛知県

 皆様、こんにちは。安井久喜です。


 私は、冬、再び、北海道へ行きました。
今回は、札幌から釧路を経由して知床を旅しました。行く前は、去年も行ったし何も変わらないかもしれないと消極的な気持ちにもなりましたが、多くの感動や考えることがいっぱいありました。

 釧路には、タンチョウが来る所があります。釧路駅から始発の電車に乗り、いつ来るかわからないタンチョウを氷点下の気温の中、じぃーと待っていました。

 タンチョウは、音も立てず、鳴きもせずスーっと来ます。そして、着地するとき、大きな翼を広げてブレーキをかけます。両翼を広げると2m40cmにもなります。厳冬期、食べるものも少なく、過酷な環境で逞しく生きている生き物の姿がありました。 

      釧路のタンチョウ

 日本も、食べ物が少なかった戦中に育った人たちの世代からお話を聞く事も少なくなり、
戦前の良き文化、良き慣習に、何か自信をなくしてしまったような気がします。現代は、バイキングで食べ残っても、消費期限でゴミになって、まるで食べ物がありふれているように錯覚してしまいますが、日本は食料自給率が40%しか、ありません。 

 世界全体では、人口が増えています。除雪費用や、震災からリバイバルしようしている所に支援するのは理解できますが、日本の借金が膨んでいるのに、必要以上に不安をあおったり、調子の良い事を言っている所が、大型事業でお金を使おうとしていないでしょうか。このまま、他国を当てにして生活していいのでしょうか。

 幼児期、親に読んでもらった、食べ物を粗末にしてはいけませんよ、などの道徳的な良いお話の絵本が、とても懐かしく大切に感じます。


 考えてばかりいると不安が広がりますが、日本人は、その昔、稲が実りにくかった
北の大地でさえ、努力を積み重ね、今ではブランド米も誕生するぐらい底力があるのです。

 現実に少しずつ気づいていけば、食べ物を粗末にしないで、
きっと日本国内だけで、自給率を100パーセントにできると僕は信じます。


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